今から五千年くらい前の、縄文時代中頃には、唐津湾は今の平野の奥深く侵入していて、以来、海が沖合に後退し、大量の砂が河川によって流れて、今の砂丘ができあがります。五世紀から六世紀にかけて、海岸線であった、この鏡山のふもとは、唐津湾に面する場所として栄えます。
そこに当時の豪族のお墓が作られたのです。これが古墳と呼ぶもので、樋の口古墳、玉鬘古墳、島田塚古墳などがあります。その後、ふもとの砂丘が広がって、奈良時代になると神社も作られるようになるのです。ですから、まさに古代の森にふさわしい、遺跡の宝庫といえます。